アーモンドの歴史 History of almond

アーモンドの原種と原産地

アーモンドと桃はもともと同一の原種であったものが、太古の地殻変動により隆起した中央アジア山脈が中東と東アジアを隔ててから、それぞれの地域で異なった進化を遂げてきました。桃は中国の比較的湿度の高い低地を中心に生育する様になり、アーモンドは乾燥した西アジアから中央アジアの砂漠や丘峰の斜面に、様々な品種に分かれながら自生する様になりました。これらの初期の原種アーモンドは、天山山脈西方の山裾からチグリス・ユーフラテス河の流域にかけて更に進化を続け、小さな、とげのある木に、硬い殻に覆われた小さな苦い実をつける様になってきました。

西アジアから中央アジア一帯における乾燥した暑い夏と雨が多く比較的温暖な冬を持つ地域でアーモンドはバラエティに富んだ風味を持った実をつける植物となって分布する様になりました。

遊牧民により広まったアーモンド

やがて人々はアーモンドの実が甘く、食用に適することを発見し、特に遊牧民の携帯食として珍重される様になりました。古い文献の中に遊牧民が大粒のアーモンド、砕いたナツメ、少量のピスタチオ、パン屑をごま油で混ぜ合わせたものを、小さなボール状に丸めた食糧を携帯したと記されています。

西アジアの集落近郊や中央アジアと中国とを結ぶ、後にシルク・ロードと呼ばれる重要な交易の道筋に、遊牧民や旅人の懐から地面に転がり落ちたアーモンドが野生の林となったといわれます。
 こうしてアーモンドの分布は交易路や古代都市を中心に更にその自生範囲を広げていったのですが、今日でも中央カリフォルニアの川べりや道路端に野生のアーモンドを見出す事ができます。

アーモンドの栽培の歴史

アーモンドは既に紀元前4000年頃には、メソポタミアのどの古代文明でも食されるようになってきた様ですが、それは丁度人類が樹木の栽培をするようになった時期とも重なっています。アーモンドはチグリス・ユーフラテス流域からヨルダン、イスラエルといった地中海沿岸へと栽培が広がっていきました。

『暖かな春、暑く乾燥した夏、温暖な秋、雨の多い冬』といった地中海性気候がアーモンドの植生環境に適していた事から、その栽培は更に拡大していきました。
今日、世界のアーモンドの8割以上がカリフォルニアで生産されていますが、アーモンド栽培の歴史は、こうしてメソポタミア地域から始まりました。

地中海沿岸地域に広がったアーモンド

その後アーモンドは地中海に沿ってシナイ山麓からナイル川沿いのエジプトやヒッタイト(現トルコ)へと栽培が広がり、やがてアーモンドはギリシャを始めとしたヨーロッパの地中海沿岸の諸国へともたらされることになります。 古代エジプトでは紀元前1352年、ツタンカーメン王が亡くなると、王の墓には死後の旅路の食糧として、アーモンドが入れられたと記述が残されており、オリーブオイル等の香油と共にアーモンドオイルが使用され始めた様です。

アーモンドの収穫が描かれている紀元前400年頃のギリシャの壷

ギリシャ神話でもフリュギア(現在のトルコ)で昼寝をしているゼウスから生まれた女神キュベレ(Kybele)の体の一部から熟した実をつけたアーモンドの木が生えたといわれています。
 又、旧約聖書においてもアーモンドは創世記、出エジプト記、民数記の3記、伝道者の書、エレミア書の2つの伝道書に合計9節に記述がみられます。

アーモンドはアレキサンダー大王の東方遠征によって本格的にその栽培地域を地中海沿岸の西方地域へと拡大する事となりました。アレキサンダー大王が諸国を征服した時期(紀元前350~323年)と、アーモンドの栽培がギリシャから更に西方へと広まっていった時期とは、ほぼ同じであるとされています。古代ローマの人たちはアーモンドのことを”グリークナッツ(ギリシャの木の実)”と呼んで親しんだといわれます。
 こうしてアーモンドは温暖で多湿な冬、乾燥した穏やかな夏というヨーロッパの地中海沿岸地域の気候によく順応していき、ギリシャ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、トルコ、モロッコ、チュニジアなど果樹栽培の盛んな地域で、アーモンドの栽培は根付いていきました。

アーモンドは霜害の少ない風通しが良く十分な水はけの良い土壌を好みますが、根の構造や乾燥に強い特性は浅い土壌や乾燥した丘陵地帯で僅かな手間で多くの実りをもたらしました。そのため、より肥沃な土壌や灌漑された土地が必要な他の穀物や野菜などに転作される事もなく、ギリシャやイタリアでは何世紀もの間にわたり、地中海地域の丘陵でアーモンドは生産される事となりました。

ビザンチン時代の収穫とヌガー作りの壁画

カリフォルニアでの生産

アーモンドがカリフォルニアに伝えられたのは18世紀の中頃、スペインの宣教師フニペロ・セラ神父によってもたらされたと伝えられています。
18世紀の中頃から19世紀にかけて、フランシスコ派イエズス会はミッション・サンディエゴ・アルカラを起点にカリフォルニアを北上し、ソノマまで21のミッション(伝導所)を創設していきました。
セラ神父の功績はその伝導活動に留まらず、ミッションの周辺にアーモンドやぶどうを植え、今日のカリフォルニアにおけるアーモンド産業やワイン産業の礎を築いたといわれています。

フニペロ・セラ神父

セラ神父の功績はその伝導活動に留まらず、ミッションの周辺にアーモンドやぶどうを植え、今日のカリフォルニアにおけるアーモンド産業やワイン産業の礎を築いたといわれています。
アメリカでは東部のニューイングランド州や中部諸州でも栽培が試みられたと記録されていますが、商業生産が定着したのはカリフォルニア州だけで、本格的な生産が始まったのは1840年代です。

A・T・ハッチ

その後ゴールドラッシュ以降の農業の発達に伴い、アーモンドの生産はセントラルバレー一帯に広がっていきました。
1885年には100万ポンドレベルの収穫量であったものが、オーガスト・T・ハッチらによるノンパレルを始めとした品種改良が進められ、1899年には460万ポンドに拡大したと記録されています。

やがてカリフォルニアの生産者達は集って収穫物を貯蔵、出荷する様になりましたが、本格的に州内の生産者達が組織化されたのはサクラメントの南、ロダイのアーモンド農園主のJ. P.ダーギッツの構想によるものでした。こうして生産者達が集まり1910年3月18日にCalifornia Almond Growers Exchange (カリフォルニア・アーモンド・グロワーズ・エクスチェンジ現在のブルーダイヤモンド・グロワーズが設立され、その後1914年には250人の献身的な生産者の出資により初期のサクラメント本社と加工プラントを建設されました。

J.P.ダーギッツ

2000年代に入り、カリフォルニアのアーモンド産業は地中海沿岸諸国の生産量を遥かに超えて2011年には20億ポンドに達し、世界の8割以上のアーモンドを生産する主産地へと発展してきました。ブルーダイヤモンド・グロワーズは100年以上にわたりカリフォルニアアーモンド産業を代表する企業として今日のアーモンド産業をリードしています。